今夜もイカせてくれないのッ! 『美藝公』およびFRICTION

昨夜は『美藝公』を観劇。いいとこがなくてあきれてものが言えない。

おれは演劇に通い始めたのが最近というより先月からなので少しく注意しながらクチをきこうとは思ってんだけどそれでも、素人同然のタップや歌や楽器演奏やダンスを並べられてさ、くどい繰り返し(人力サンプリング?)やらさ、指にチクワと鉛筆差して喜んでるヨシモト以下じゃねえかというギャグとかさあ、ハナシのスジも見えにくいし、この演目がツツイさん(しかも『美藝公』)である意味がどんだけあんのか疑問に思うね。ないんじゃないか。ないだろ。

要はパッとしてなかったわけ。この人たちが終演後なんらかの達成感を味わっているなんて想像したくもない。よく金取って客前に立てるね。その度胸というか面皮の厚さに脱帽。こんな阿漕なショーバイするヤツは滅びればいいと思うんだよね。いなくなっちゃえばいいよこんな人たち。おれはそう思うね。


前のこの人演出の舞台観てから思ってんだけど、役者ってなんなのよ。「芝居する人」でしょう? 「セリフをしゃべること」のプロなんじゃないの? だったらなぜそのことに専念させないの? なぜ役者が2流のダンサーと2流の歌手と2流の楽器演奏者を兼ねる必要があるの? セリフだけ言わしてればいいじゃん。そのどうせモノになんないダンスの練習とかしてる時間もセリフの練習に当てようよ。そしたらセリフ噛む回数も減るかもしれんでしょう。おれはカネ払ってまで見たくないんだよねヘッタクソなダンスなんか。

あのさ、ダウンタウンなんか毎週やってるテレビのフリートークで相手に「噛むなら芸人やめちまえ」って言ってたことさえあるよな。台本があって稽古の時間がある芝居の舞台本番で噛んじゃうんだったらさあ、役者なんかやめろよ。向いてないよ。やめてマジメに働けよ。なにやってんだろうコイツらって思うな。



観終って気分がもやもやするので繁華街まで歩くとありがたいことに本屋がまだやってた。買いたかった『 FRICTION The Book 』を購入。帰ってさっそくひと文字残らずペロリペロペロと読みこきにかかるが冒頭の近藤等則の文章に「ああ」と思って近藤等則IMAのCDを探したところ3枚発見、10年以上ぶりで聴きながら読み続ける。終わったら当然フリクションを。


おれはロックには基本的に興味がなくて、だからあんまり好きでもないんだけど、フリクションは別格だよね。フリクションについては好きとか嫌いとかいうもんではない気がする。フリクションに対する評価とか態度とは、いわば「知ってるか知らないか」だけであって、知って(聴いて)しまったらサイゴでしょう。こんなもんに抵抗できるはずがない、聴かずにはいられない。フリクション聴いてなんにも感じないというのはヤバイと思うね。

補足で言うと、おれはヒップホップが好きでずっと聴いてるんだけど「ヒップホップが好きじゃないのは人としてヤバイ」とかまでは言う気ない。いや、あるけどあんまり言わないしあんまり言えない。それは人にはそれぞれ趣味も来歴もあるだろうからなあとか思うからだ。でもフリクションについてはゼンゼン言えるというか、別に言う必要もないと思うな。聴けばわかる。聴けばわかるよ。


思い出したぞ。おれ最初レックを外国人だと思ってたんだよ。「日本語うめえなあコノ外人」とか。おおう思い出した、どんどん思い出すね。なんかしらんがジャズの本に載ってた『 Replicant Walk 』評がえらく気になって買って聴いた初フリクション、高校生だった、たぶん。そんで外人だと思ってたんだ。ハハハそのイメージいいね、外人ボーカルの先鋭的な日本発ロックバンドをジャズ評論家が「めちゃめちゃイイ」って誉めてんのか。あーそれぐらい音楽に夢見てたのかもなー。


そして今フリクション聴き直して驚いてる、『 Replicant Walk 』と『 Zone Tripper 』の聴き込みっぷりに。めちゃめちゃ憶えてるね、めちゃめちゃ聴いてたねこりゃ。特に『 Zone Tripper 』。ああ思い出した。この頃は売れない営業マンでさー、救いというか日常の忘却を求めて聴き返してたんだよ多分。うん、なんかそんな音楽だなフリクション。若い男には不可欠なんじゃないか。世界的に。ああ世界的に。